分子細胞生物学

PubMedID 30065243
Title Systems analysis of intracellular pH vulnerabilities for cancer therapy.
Journal Nature communications 2018 07;9(1):2997.
Author Persi E,Duran-Frigola M,Damaghi M,Roush WR,Aloy P,Cleveland JL,Gillies RJ,Ruppin E
  • がん治療に向けた、細胞内pHの脆弱性のシステム分析
  • Posted by 東京大学 医科学研究所 疾患プロテオミクスラボラトリー 田中 香織
  • 投稿日 2019/03/11

 多くのがん細胞は、ワールブルク効果(好気的条件下であっても、グルコースや栄養素を積極的に代謝し、乳酸を産生する)に代謝的に適応しており、同様に低酸素および低栄養といった微小環境へも適応している。結果、細胞外環境の酸性化(低pHe)と、それに伴う細胞質内のアルカリ化(高pHi)が引き起こされ、通常の生理条件(pHi ~7.2、pHe ~7.4)とは逆のpH勾配(pHi > 7.2、pHe 6.7~7.1)が生じ、代表的ながんの特徴の一つとなっている。この逆pH勾配は、モノカルボン酸トランスポーター(MCT)、Na+ - H+交換体(NHE)、および炭酸脱水酵素(CA)を含む、さまざまな細胞膜トランスポーターや、pH恒常性を制御する酸排出タンパク質の発現や活性に依存している。
 がん細胞における逆pH勾配は、腫瘍の増殖、浸潤、転移および治療抵抗性と関連があることが報告されている。これは、細胞外環境の酸性化による、増殖因子の誘導(例:VGEF、HIF-a)、免疫監視機構の抑制、進化的選択圧といった要因によると考えられている。現在、細胞膜トランスポーターを阻害し、pHi制御を乱す治療戦略が提案されており、実際に細胞膜トランスポーター阻害剤の臨床試験が行われている。さらに、これらのトランスポーターの阻害によるpHiの低下は、がん細胞にとって有害であり、アルカリ性細胞内環境が、がん細胞の生存に必要であることが示唆されている。しかしながら、pHiががん細胞の増殖や代謝とどのように関連しているのか、そしてpHiの制御を乱すことが治療に利用可能かどうかは不明である。

 そこで筆者らは、包括的に代謝酵素の情報を収集しているデータベースを用いて、pH依存的な代謝酵素の活性プロファイルを推測し、次いで、がんおよび正常細胞の代謝モデルとして提供されているgenome-scale metabolic models(GSMM)に統合する手法を開発した。
 まず、酵素の活性は、pHによって変化する。pHiの違いによる代謝状態を評価するために、代謝酵素のデータベースであるBRENDAから、酵素活性が0、50、100%となるpHを、酸性側、アルカリ性側、合わせて6ポイント抽出した。欠損値をホモログの値や線形モデルで補完し、ゲノムスケールに推定した結果、ヒトタンパク質中の76%の代謝酵素についてのpHプロファイルを得た。重要なことに、酵素活性が最大となる予測最適pHは、それらが存在する細胞区画の測定pHとほぼ一致した。こうして推定した各酵素のpH活性プロファイルを、がん細胞(NCI-60)および正常細胞(HapMap細胞株パネル)特異的な代謝モデルGSMMに統合することで、pHiの変化による細胞増殖速度や主な代謝物の取り込み/排出比のシミュレーションが可能となった。
 シミュレーションの結果、がん細胞では、アルカリ性pHiが解糖の増加および低酸素状態への適応を伴って、ATPを大量に生産し増殖を最大化するのに対し、酸性pHiはこれらの適応を無効化し、増殖を抑制することが示唆された。一方でNADPH産生が受ける影響は、がん細胞と正常細胞に違いはなかった。よって、がん細胞においてpHiの低下は、選択的にワールブルク効果的な代謝状態を逆転させると推測された。
 また、がん細胞特異的に、これらのpH依存的な代謝適応に必要な標的を同定するために、分割統治法や単一遺伝子のノックアウトシミュレーションを行った結果、GAPDHやGPIが見出された。共に解糖系を担う代謝酵素であり、これらの阻害は、pHi低下の効果をがん細胞選択的に増強し、抗ワールブルク効果、増殖抑制をもたらすことが予測された。
 そこで、筆者らは乳腺由来細胞(MCF-7細胞、MCF10A細胞)を用いて、MCTの阻害によってpHiを低下させた後、がん細胞選択的かつpH特異的な増殖抑制が期待できるGAPDHとGPIのノックダウンを行った。結果、MCT阻害によるpHiの低下は、乳がん細胞であるMCF-7細胞の増殖を抑制し、GAPDHおよびGPIのノックダウンは、増殖をさらに抑制した。また同時に、細胞の生存率も著しく低下させた。一方で、正常細胞であるMCF-10A細胞では、MCT阻害とGAPDH、GPIのノックダウンによる細胞増殖や生存率に対する影響は小さく、がん細胞特異的な効果が認められた。以上から、がん細胞がアルカリ性pHiでは高い適応力を持つ一方で、治療に利用できる脆弱性を与えることが示唆された。
 
 in silicoなアプローチにより、細胞内代謝におけるpHiの影響を評価し、がんを選択的に標的とするための新しい治療戦略の提案および検証実験が可能となった。筆者らは、この研究が、がん代謝におけるpHiの本質的な役割を示唆し、また他の生物医学分野にも応用可能な、pHiの役割を調査するための概念的および計算上のフレームワークを提供すると結論づけている。

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